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2021/04/28 19:12

今日、私たちは【ペースト(ガラス)】のことを【詐欺】または価値ある天然宝石の【偽物】と考える傾向があります。


しかし、長いジュエリーの歴史を紐解くと、必ずしもそうではありませんでした。
ペーストはかつて、芸術の集大成・最も価値ある作品の一つとして、非常に人気がありました。
ダイヤモンドや他の貴重な宝石ではめったに実現できない、特定の装飾効果を表現できたからです。
実際、ペーストジュエリーは18世紀と19世紀に王族や貴族に特に人気がありました。
その人気は、ジョージ王朝時代(1714-1830)とビクトリア朝時代(1837-1901)にピークに達しました。

【宝石を模倣したい】という人類の願いは、非常に早い時期からみられ、古い時代から宝石の模倣は試みられてきました。
ローマ時代にローマ人は、エメラルドやラピスラズリを模倣した、色付きガラスペーストの製造技術に、非常に熟練していました。
宝飾品の需要が高まるにつれ、模倣品の数は着実に増加していきました。

ジョージ王朝時代(1714-1830)初期のペーストストーンは石英から切り離されたものなどが使われ、主にダイヤモンドを模倣するために作られていました。  
17世紀のヨーロッパ貴族階級、特にロココ様式のパリの貴族たちにとっては、ダイヤモンドやエメラルドなどの貴重な宝石で作られた高級ジュエリーがステイタスとされ大流行し、  これらの高価な宝石はその希少性と美しさで高貴な人々に切望されていました。
しかし、当時絶対数が少ない貴重な宝石を手に入れることはとても難しく、また、盗難などの不安も広がりをみせました。
そこで貴族たちは、宝石商に、美しい安価な代替素材を探し出すよう伝えました。
  そして1724年(1730年※諸説あり)フランスの宝石デザイナー、ジョルジュ・フレデリック・ストラス Georges Frederic Strass(1701-1773) は 新しい【ペーストガラス】 を考案しました。
ストラスが作った【ペースト】は、鉛ガラス(※)を金属粉でカット&研磨したもので、 ろうそくの明かりの元では、まるで本物のダイヤモンドのように煌めいて見えました。
ダイヤモンドカットをマネするために、ペーストストーンの下側(キューレット部分)には、小さな黒い点を作り、深さの錯覚を与えるなど工夫を凝らしました。
これらのペーストは、「ディアマンテ」または「ストラス」と呼ばれ、王族および貴族社会で大人気となりました。
(  ストラスは1724年にストラスブールからパリに移り、短期間のうちに「王(ルイ15世)の宝石商」に任命されます  )
 
(※)材料の密度が高いほど屈折率が高くなり分散が大きくなるため、鉛ガラスが使用されていました。これは、鉛ガラスがルビーの破砕充填に使用されるのと同じ理由で、ルビーと同様の光学特性を持っています。 


後のビクトリア朝時代、ペーストは進化し、 高貴な婦人のイブニングパーティ用ジュエリーセットの一部として人気となりました。
また、カラフルなペーストを使ったジュエリーは、ロマンスの告白をコード化したメッセージとしても人気を博しました。

このように、【ペースト】は、18世紀から19世紀にかけて、高級宝石を模倣するために作られたジュエリーとして多用されました。
 
その後、ビクトリア女王とアルバート公の悲劇的なロマンス(アルバート公の死)の影響を受けて、ロマンスや喪などの特定の感傷的な理由から、ペースト、ミラーバックガラス、人間の髪の毛、爪、ブラックジェット(木の化石)などを、非貴金属で作られたジュエリーに装飾し、身に着けることが流行しました。

ヴィクトリア朝時代の終わり頃、産業革命が進み、オーストリアの宝石商ダニエル・スワロフスキーは、ダイヤモンドをうまく模倣した最初のカットガラスクリスタルを発表しました。

スワロフスキークリスタルは、高鉛含有ガラスでできており、永久的なホイルの裏打ちがあり、本物のダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルドような錯覚を与えました。

1892年、スワロフスキーは機械式ガラスカッターの特許を取得したため、大量生産が可能となります。
(1895年スワロフスキーは、ボヘミアのガブロンツ地区にあった工場をオーストリアのライン川近くに移し、スワロフスキーのクリスタルは「ラインストーン」として知られるようになりました。
また大量生産技術により「ラインストーン」は一般市民にも大人気となり、広く使用されるようになっていきました)

この時代(ベルエポック時代/エドワード時代)の華やかな社交界の人々によってラインストーンは支持され、エレガントで渦巻くアールヌーボーデザインにも多様されました。

その後、「コスチュームジュエリー(ビジュー・ファンテジー)」という言葉が、20世紀初頭(1920年代)に生まれます。

アールデコ時代1920年代、ココシャネルやエルザスキャパレッリなどのパリのオートクチュールデザイナーは、
  「宝石や貴金属の高価な財産としての価値ではなく、自分を表現するファッションとしてそのデザインにこそ価値がある」
という概念で、ペーストやクリスタル、ラインストーンを採用し、ファッション性の高い作品を作り始めました。
  (ステートメントアクセサリー)

  シャネルが新しく発表したジュエリーは、従来のスタイルとは異なり、大きな花やカエルのように見える作品(富の指標としてのファインジュエリーではなく、芸術のために着用することを目的としたコスチュームジュエリー)で、大ヒットしました。  

ファッションデザイナー達は、アールデコスタイルに合わせて、新しい表現で大胆な作品を次々と発表していきました。

コスチュームジュエリーが世界的に広がりを見せた要因の一つは、当時ファッショントレンドリーダーとしての地位を固めたハリウッドの登場でした。

特に、ユージーン・ジョセフの「風と共に去りぬ」、「オズの魔法使い」、「カサブランカ」など、豪華な作品で使われたコスチュームジュエリーは、非常に影響力がありました。

グレタガルボ、マリリンモンロー、ジョーンクロフォードでさえ、見事なラインストーンネックレスを身に着けて公に出演し、マミーアイゼンハワー女史は1953年に夫の就任舞踏会に、コスチュームジュエリーを着用しました。

以前は、家や夫の富を世間に誇示するための手段の一つとして、女性は貴石や半貴石・貴金属で作られたジュエリーで身を飾り、【宝石】とは、お金持ちが社会での地位・ステイタスを伝えるために着用するものでした。

  しかし、コスチュームジュエリーは、安価な素材で作られており、高価な宝石や貴金属で作られた記念品や家宝を意図したものではないため、特定の外観・概念が古くなったときには、処分や交換したりすることができるようになりました。
(※現在で言う、ファストファッションのはしりですね)

1920年代後半以降、 ジュエリー業界の新しい改革は進みます。

1933年にはヴァンクリーフ&アーペルが爪が見えない留め方(ミステリーセット)の特許を取得しました。

1940年代後半から、クリスチャンディオールのようなハイブランドも、パリのデザイナーが、コスチュームジュエリー作成に取り掛かりました。ディオールは、スワロフスキーのオーロララインストーンでナンバーワンに輝きました。



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マルコム・デビッド・サミュエル・ルイスは彼の著書「アンティークペーストジュエリー」でこう説明しています。

「ペーストは1700年代から1900年代初頭にかけて広く使用され、ダイヤモンドや宝石の単なる代替品ではなく、それ自体が価値ある素材でした。1730年にGeorgesFrederic Strass(1701-1773)によって発明され、スターリングシルバー、またはゴールドにセットでき、ホイル(またはホイルなし)で留められています(※ただし、18世紀のペーストは常にホイルされていました)。
ホイル付きのペーストは、通常、ホイルの追加反射で輝きが増やすため、クローズドバック(後ろを閉じる)設定で留められていました。ペーストは、ダイヤモンドよりもはるかに簡単にカットおよび成形できるため、ぴったりとフィットするデザインの外観が実現可能であり、さまざまな形状がペーストによって実現されました。完全に丸い形は、初期のペーストジュエリーには見られませんでしたが、爪留めや爪建ての作業もありませんでした。カット設定は、19世紀にコロネット設定(※翻訳わからず)に取って代わられました。ペーストは、オパールに似たカボションカットなど、さまざまなカラーでも作ることができ、カラフルなペーストも人気を博しました。ほとんどのペーストは、フランス、イギリス、ドイツ、スペイン、またはポルトガルでつくられました。その後、いくつかの作品がペーストによって特徴づけられました。1730年にペーストが導入されたことで、「ペースト時代」という用語が18世紀に適用されるようになり、その煌めきは、製造されたときと同じように、今日でも魅力を保っています。」

「極端な硬度と高コストにより、丸い楕円形や長方形などの従来の形状を除いて、(ダイヤモンド)の切断は大変不経済です。そのため、どんな密接設計されていても、1つのダイヤと次のダイヤの間には必ず金属の隙間が現れます。一方、ペーストは柔らかく、どんな形にも簡単にカットできるので、各石は隣接する石に正確にフィットし、介在する金属をほとんど残しません。※ただし、これには通常のダイヤモンド作業よりもさらに高度な加工技術スキルが必要です。」

「ペーストとは、宝石のようにカットされているガラスと定義します」

「アンティークペーストジュエリーのペーストは、1700年から1865年頃に作られました」

  ※このように1865年までのペーストは、独自のジュエリーカテゴリー(芸術形態)と見なされて、尊重されていました。
 多くの要因がペーストジュエリーの価値に影響を与えますが、古くて本物の優れたペーストは、作品によっては数万円~数十万円に及ぶ可能性があります。
 アンティークディーラーが、高価なファインジュエリーと一緒にペーストジュエリーを販売することは珍しくありません。
アンティークやヴィンテージのペーストジュエリーには、ファインジュエリーと同等の、時にはそれよりも優れた技量と素材が組み込まれていることがよくあります。
実際、19世紀半ば頃(1865年頃)までのペーストジュエリーは、それ以降のものと比べると何倍も価格に差があり、高級な貴金属に匹敵する価格で取引されています。

この【ペースト】という言葉(用語)は1930〜40年代までの作品も含むような概念が一般化されており、それ以降のジュエリーを表すために使用されることも多々あります。
ペーストは長年にわたって複製されており、古いものと新しいものを区別するのは非常に難しい場合があります。

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