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2020/11/24 15:55

当サイトでもヴィクトリアンと称して紹介してますが、これは1837年、若干18歳で即位したヴィクトリア女王が死去する1901年までに作られたジュエリーのことを指しています。


このころ女性雑誌なども発刊され始め、ヴィクトリア女王の着るもの、身に着けているものが、注目されたこともあってジュエリーのスタイルに多大な影響を及ぼしています。そういう意味で、ヴィクトリア女王とともにジュエリーのスタイルも3つの期間があると言われています。情報ソースによって、区切りの仕方(年号)が異なるので、下記に初期、中期、後期の年号は参考までにとらえてください。

[ヴィクトリアン初期(1837年~1860年]
1837年ヴィクトリア女王即位。
1840年に母方の従弟にあたるザクセン=コ―ブルク=ゴータ公子アルバートと結婚。
ヴィクトリア女王がアルバート公から贈られた結婚リングは、蛇のリングだったと言われています。

その後、次々と王子や王女が9人生まれます。
この頃のイギリスは、産業革命と植民地の拡大により繁栄のピークに達します。
1851年には世界で初めてといわれるロンドン万国博覧会がロンドンで開かれます。

この時代のジュエリーは、主な傾向は以下の通りです。

デザインテーマ:蛇や蓮の花、木、鳥などの自然的なモチーフ。文字遊びのジュエリーも、フランスから移入され、たとえばリガード(REGARD:Ruby,Emerald,Garnet,Amethyst,Ruby,Diamond)リングやディアレスト(DEAREST:Diamond,Emerald,Amethyst,Ruby,Emerald,Sapphire,Tourmaline)などのリングが製作されました。
素材:使用された一般的な素材は、金、シードパール、ガーネット、ターコイズ、べっ甲、珊瑚、オニキス、めのう、ダイヤモンド、琥珀、アメシスト、エメラルド、水晶

着用する一般的なジュエリー:リング、ネックレス、ブローチ、ブレスレット


また、低品位の金(9K、12K、15K)も1854年に合法化され、イギリスの繁栄とともに、一般市民も豊かになりジュエリーが身近になった時期です。(12K、15Kは1932年に廃止)
豊かになった市民は、旅行も行くようになり、海外はイタリア、国内はスコットランドが、人気となります。
そこで、イタリアからは、カメオモザイクなど、スコットランドからはスコットランド産の小石をカットしケルトの伝統を引き継いだスコティッシュ・ジュエリーというものが流行します。


[ヴィクトリアン中期(1861年~1885年)]
1861年アルバート公がお亡くなりになり、ヴィクトリア女王は長い喪の期間に入ります。
そこで、モーニングジュエリーが定番となります。
※モーニング、とは【朝morning】の意味ではなく、【喪に服すmourning】意味です。



モーニングジュエリーには、故人の髪の毛を使ったり、骨や歯などを埋め込んだ奇怪なもの、亡き日を記したものなどもあります。
ヴィクトリア女王の嘆きは長く続きましたが、一般的な国民には長くは続きませんでした。
1867年に南アフリカのキンバリーでダイヤモンド鉱山が発見され、ダイヤモンドが欧州市場に流れます。
また、1877年には女王がインド皇帝に即位し、大英帝国が絶頂期を迎えるとインドからゴールドやパールの宝飾品が大量に輸入され、人々の宝飾品への関心を呼びました。
またこの時代、ヒストリズムと呼ばれる古代文明のデザインを模倣したジュエリーデザインも大衆には流行します。これは、イタリア各地でローマ、あるいはそれ以前のエトルリア人の遺跡が、発掘され、彼らの1㎜以下の小さな金の粒を並べてできた粒金あるいはグラニュレーションと呼ばれる技法を使ったジュエリーが見直されたことによります。

この時代のジュエリーは、主な傾向をまとめると以下の通りです。

デザインテーマ:星、月、昆虫、蝶、トンボ、カブトムシ。スポーツジュエリー(馬蹄、猟犬、狐、乗馬用の鞍、ゴルフクラブなど。
古代文明のデザイン(ヒストリズム)。ホルバイネスク様式(画家ハンス・ホルバインのジュエリー・デザインおよび、これをもとにたと称するジュエリー)
素材:金、銀、ブラックオニキス、ジェット、アイボリー、真珠等。また、硬化ゴム、黒いエナメル、黒いガラスも一部で使用されます。
着用する一般的なジュエリー:イヤリング、ブローチ、ブレスレット、夜の外出用のネックレス、ロケットペンダント等。



[ヴィクトリア後期(1886年~1901年)]
1887年にはヴィクトリア女王即位50周年記念を迎えました。
このころになるとヴィクトリア女王は、仕事は皇太子エドワードとその妃アレクサンドラが行い、自身はスコットランドの別荘に籠ることが多くなります。

この時期は、産業革命によりジュエリーも大量生産されるようになりました。
また同時に、労働者が肉体労働による男性だけのものから機械化による女性の労働者の増加により、さらにジュエリーの一般化が促進されることとなりました。
一方、この風潮に反動してアーツ・アンド・クラフト運動が起こりました。これは大量生産による美術品の質的低下に反発して、中世のギルドに近い手作業による作りを重視し、素材よりもデザイン及び手作りの素晴らしさを伝えたものです。

この時代のジュエリーは、主な傾向は以下の通りです。

デザインテーマ:蝶、バラなどのロマンチックなスタイルの復活。
素材:銀。アメジスト、エメラルド、オパール、ムーンストーン、七宝。
着用する一般的なジュエリー:小さくてシンプルなブローチ、イヤリング等


1901年、ヴィクトリア女王は64年にわたる在位の後、死去しました。
すでに、宮廷の中心となったエドワードとアレキサンドラの皇太子夫婦中心に、エドワーディアン様式として発展し、プラチナを利用した、左右対称なデザインが出始めます。エドワーディアン様式については、また、別に記事にしたいと思います。